第三節





  数日後に来るであろう37型液晶テレビの事を考えながら抜いていると、
いきなり部屋のベルが鳴ったので、慌ててチャックを閉め玄関口に応対に出た。

 すぐに扉を開けるような不用意な真似はせず、ドア越しに誰何の声を掛ける。

「どちら様でしょうか…?」
「ひかりです、一輝兄ちゃん久しぶり」
「ひかり!?…えっ、あ、直ぐ開けるから」
 俺はこのボロアパートの半ば塗装の剥げた玄関扉を開いた。
「おっす、兄ちゃん」
「どうしたんだよ、突然」
「遊びに来たんだよ、入ってもいいよね」
 ひかりはそういうと俺の脇をスッと抜け、「あっ、おい」といったときにはすでに姿はなく、俺の部屋まで入ってしまっていた。
「あーッ、ちょっと…兄ちゃん!」
 妹の脱ぎ捨てたサンダルを並べ「どうしたんだ?」と返事をしながら慣れた足取りで部屋まで歩いていく。
 ひかりは、何やら険しい顔をして、俺を睨んでいる。
「兄ちゃん!掃除してないでしょ」
「…よくわかったな」
「『よくわかったな』じゃないでしょ。これだけ散らかってたら誰だってそういうよ。
 兄ちゃん、私がこないだ来たときもこんな風だったよ。」
「俺の部屋なんだから散らかっててもいいだろ。それに、人が来る前は綺麗にしてるぜ?」
「だめなの、部屋はいつも綺麗にしておくものなの。わかった?」
「はいはい、分かったよ」
 そういうと、ひかりは食品売り場で品定めしている主婦のような疑わしい顔付きで、「ほんとにわかってくれたのー?」…まだ疑ってるな。
 それしても、どうしたんだろうか。ひかりは、いつも来るときは決まって連絡を入れてくるのに。
 父さん達と喧嘩でもしたのかな?
「そんなことよりさ、ひかり」
「うん?」
「腹減ってないか?」
「お腹空いてないけど、喉が渇いたよ」
「よしっコーヒー作ってきてやるよ。甘いほうがいいよな」
「うんッ、ありがとう兄ちゃん」
 遊びに来た理由が訊きたい所だが、何かあったならひかりの方から言ってくるだろ…嫌な事があって飛び出して来たっていうことなら、
 ここで俺が無理に訊き出すのも傷ついた心に追い討ちを掛けるようで酷なことだ。
 そんなことを考えながら、ひかりを置いてキッチンへ。
「コーヒー…コーヒーっと。それに砂糖か。で、ミルク…」


「ひかりー、できたよ。今持っていくから」
「んっ、零さないでね」

  「持ってきたよ」
「何…?それ…」
「コーヒーだ。およそ200ミリリットルある。
 しかし、ひかりはそのままでは苦くて飲みにくいだろう。
 だから、これをプラスした。
 牛乳。人肌程度に暖めておいたから飲みやすいはずさ、これを10リットル」
「兄ちゃん、10リットルって相当あるよ、そんなにも飲めないよ」
「そのままでは無理だろう、そこでこいつをさらに加える。
 砂糖。サトウキビから製した美味しいやつだ。これを4キロ」
 そう言いながら俺はこの途方もない量の牛乳に途方もない量の砂糖を入れていく。
「本来なら綺麗な器に淹れたかったんだが…無くてな、これでもいいだろ」

 14キロの……ミルクコーヒー……

「飲め、奇跡が起こる」
「いや…だから、飲めな…」
「飲むんだッ」
「………」
「わかったよ。飲む」
 ひかりはそういい俺から容器を受け取って、静かに飲み始めた
「……んっ、んぅ……」

 ちなみにこの田中一輝スペシャル特製牛乳の入っている容器は、漬物の入っていたプラスチック製のものである。

「んぅ…んくっ……」

「んっ…うえっ……ッ」
「はぁーッ……もう飲めないッ…あっまー。
 砂糖ぜんぜん溶けてなかったよー。口の中べたべた、にちゃにちゃする」
「まだ、全然減ってないな。どうしようこれ、捨てるのはもったいないし」
「自分で作ったんだから自分で飲みなよ…奇跡が起こるよ」
「とりあえず、冷蔵庫に容れて来よ」
「ついでに、お茶持ってきて。口の中気持ち悪い」
「あいよ」
 本当にどうしようかな。これ。
 いくら考えても良い解決策が見つからない。
 結局『誰かが飲まなければならない』ってところは変えられない。
 考えるだけ無駄だな。
「ふんッ、重いっ……おい、ひかり、片方持ってくれっ」
「仕方ないなァー、よいしょっ…重いよコレ」
 この重さ約14キロの悪魔をなんとか冷蔵庫に放り込み、ついでにひかりの口直し用のお茶を取り出した。
「よく考えたらこれ冷蔵庫に穴開くんじゃないか?」


「さっきは無理させちゃったかな」
 そういいながら俺は部屋のちゃぶ台の座布団に座る。
「何を白々と…」呟きながらひかりはお茶を飲んでいた。
 怒ってはいないようだが、何だろう…落ち着きがない?
 ひかりはじっとこっちを見ては、視線を背け、背けたかと思えば…の繰り返し。
「何だ?俺と居るのが急に恥ずかしくなったのか?」
 そんなことってあるのだろうか。
「兄ちゃん…」
 奇妙な行動をするひかりをしばらく見つめていたら、意を決したのかひかりの方から声を掛けてきた。
「これ、観ない?」
 ひかりは後ろに手をまわし、DVDのケースを手にとって、こちらに突き出してきた。
「ひかり、いつの間に…それ、隠してたんだぞ」
「隠してたんだ。そこの引き出し開いたら。いっぱい出てきてびっくりしたよ。
 隠してるんだったら鍵くらい掛けるべきだね。
 それより、観てもいい?このアダルトビデオ…」
「観たいんだったら貸してやるよ。別に今観なくたっていいだろ。
 折角遊びに来たんだし…」
 妹も妹だがこういうのを貸す兄もどうなんだと思いながら答える。
「家じゃあ、こういうの観れないの。兄ちゃんもわかるでしょ」
「ああ、そうだったな」
 答えは出ているのだが、俺はしばらく黙って考え。
「よしっ、観てもいいぞ」
「やった」
 ひかりは欲しかった物が手に入った時のような笑顔をして、DVDをプレーヤーにセットした。
 そこまで観たかったのか?溜まってんのかな。
 DVDのメニュー画面がプレーヤーの横に置いてあるボロいテレビに表示される。
 年季の入ったガタガタの14型のブラウン管だ。奴から液晶TVをせしめればこんなもの売り払ってやる。
「ほい、再生ッ」


「名前は?」
「谷田 ハルキです」
「職業は何やってるんですか?」
「大学生です」
「へぇ、大学生だって、かわいいよなぁ」
「そうっすね」


 どうやらひかりは3Pモノを選んだらしい。分かってるなこいつ。
「こんなとこ飛ばそうよー」
 と横にいるひかりが文句を言うが、
「最初から最後まで観るのが俺流だ。飛ばさせはしない」
 そう、それが俺の流儀だ。一輝流派といった方が正しいかもしれない。
「ちぇっ」
 ひかりは頬を膨らませた。
「まあそうゆうなや」


「胸でかいな。おい、お前も揉んでみろ」
「はいっ……や、やわらかい。ぷよぷよだ」
 ちゅぱ、ちゅぱぱ
「おいっ馬鹿、お前が先に吸い付くな。俺からだ」
「すんません」


「この子、胸おおきいねー、兄ちゃん。私とは大違いだよ」
「ひかりは普通サイズだもんな」

 ピンポン ピンポンッ

 突然、部屋のベルが鳴る。
 俺はそれに驚きいつもの癖でリモコンでテレビをきてしまった。
「あ、もう…兄ちゃん、早く済ませてきて、続きみたいよー」
「ああ、何だろ…行ってくる」
 何だよ、まだ朝だぜ。宅配かな。
 いそいそと玄関に行き、ドアを開ける。
 これがいけなかった。誰が来たのか確認しないでドアを開けてしまったことが…。


「田中、フィルム渡してもらおうか。家へ入れろ」

続く





こころ -2nd edition-

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