第四節





「Kッ、早くしろ。あと三秒な」
 Kは、そのいきりたった自分の『モノ』と奮闘していた。お嬢さんは顔を赤らめそっぽを向いている。
「ちょっと待ってくれよ、あと五分で何とかするから」
 どうやら、この時間に一抜きするのがKの日課らしい…が
「はいッ残念でした時間切れでーす」
 いよいよ田中家突入という今、私はそんな事は許さなかった。
「待って……

 ピンポン ピンポンッ
 呼び鈴を押す。

「あ……」
「行くぞ」
 そう言って俺は田中家のドアに正対した。
 鍵が開きドアが少しだけ内に開く。日本の家屋にしては珍しく内開きの扉だ。
 そして田中が顔を出した。しまった、という顔。
 私は田中に向って叫んだ
「田中、フィルム渡してもらおうか。家へ入れろ」
 町中に俺の叫び声が響く。
「いや、無理だから…」
 対照的に田中はぽつりと呟き、慌ててドアを閉めに掛かる。
 私はそれを合図にまた叫ぶ。
「強行突破ッ!」
『うぃーっ』
お嬢さんとKの返事。……お嬢さんノリいいねぇ。
「おらっ!」
私は左肩から体当たりし、左足を軸に全力でドアを前に押す。
「田中ぁ、閉めるこたぁないだろ」
「あ?家に入れて堪るか。お前達、俺が苦労して撮影した盗撮写真盗りに来たんだろ?」
「ああ、そうだ。ここを開けやがれ」
田中の奴も必死になって押しているみたいだ。私が全力をぶつけているにもかかわらずドアはびくともしない。
「まったく、まさかお前達が力ずくで来るとはな…とりあえずの対策はとってあるが」
「この状況で減らず口をたたけるなんて、どこまでも呑気な奴だ。
 …いつまでその余裕が続くかな?」

 2分後。
 私と田中の押し合いは未だ膠着状態が続いていた。
そんな事よりも、どういう事なのだろうか。後ろの二人組が動いていないように見えるのだが…。
「あのさ…後ろで見ている御二方も手伝ってくれないかな?」
さっきの威勢の良い返事はどうしたんだ。私の学校での名声が関わっているというのに。
『5…4…』
あ、あれ?何のカウント?ちょっと教えてよ。
『3…2…』
無駄にタイミング合ってるんですけど。これはあれかな?二人の初めての共同作業的な?
『…1…おらぁッ!』
「ふぅんっ!?」
 背中に衝撃が走り、私は意識を失った…

「あー、やっちまったな。まさか気ィ失うとは…」
「大丈夫?…ねぇってば」
お嬢さんがゆさゆさと体を揺すってはみるものの、まるで反応なしだ。
「ここのドアって内開きなんだ……へぇ…ヨッシーんとこの外開きとは少し違う雰囲気を醸し出してるな」
俺はこの珍しい扉に感銘を受けた。
「K、わけのわからないこと言ってないで起こすの手伝って」
「…まぁいいんじゃね?結果田中の家に入れたんだし」
向こう側で踏ん張ってた田中も勢い気絶したしな。
「それでも起こすの!…あっ」
「仕方ないな…中へ運んで寝かせといてやろう」
俺は強引に奴の足を持ち上げた。まぁ俺の責任でもあるしな。
「そうね。Kにしては良い事してるわ」
「うるさいな。君も手伝ってくれよ」
とぼそぼそいいながら二人で体を持ち上げる。
 狭い玄関、横を見ると便所があり、すぐ突き当りに部屋がある。
「とりあえず、あそこまでいくか。じゃましまーす」
「後ろ、気をつけて。田中君倒れてるから」
「って…言うの遅いよ。柔らかいもの踏んじまった」

「意外と重かったな」
「次、田中君も運ぶよ」
「ああ」

 二人を部屋まで運んできた俺達は物やゴミで煩雑な床の、空いた場所に彼らを寝かせ、その隣で一息つく。
「田中の家、かなり汚いな…」
「そうね、正直驚いた。あなた達の部屋より汚いんじゃない?」
 汚いアパート。部屋にはちゃぶ台と、座布団が二つ。古いブラウン管テレビ、ビデオデッキ…
 おっと、ビデオが入っている。何を見ていたんだろうか…近くのリモコンを手に取り電源を付けようと
「てっ」頭に突然チョップが飛んできた「くつろぎすぎ、これぼっしゅう」
 お嬢さんにリモコンを奪われた。
「さっさと済ませて帰るわよ。傍から見たら泥棒だってこと忘れないで」
 いや…傍から見なくても泥棒なんだけど、と思ったが黙っておこう。
「それと…」
 お嬢さんはこちらから少し視線を逸らして、
「ベル鳴らしてから5分はもう過ぎたけど、何とかなってないわね」
 どうやらまだ収まっていない俺の『アレ』を見てしまったらしい。
 恥ずかしがるお嬢さんもかわいい。かわいい。かわいい。
と思っていたらまた勃ってきた。男の性だな、これは。
「悪いが、簡単にコントロールできるものじゃないんだ。時間が経てば勝手に戻るから」
「とんだ変態ね」

 それそろ収まってきたかな?と思った時
「さてと。K、この部屋に入ってみよ」
 お嬢さんの指さす先には閉じられた仕切りがあった。どうやら奥のキッチンのようだが…
「なんで?」
「この部屋、一通り探ってみたけど、フィルムなんて無かったわ。きっとここにあるんだよ」
 全く、どっちが『くつろぎすぎ』なんだか。まぁ、いいか。
「…行ってみるか」
 立ち上がってキッチンに歩み寄る。
 すると先に仕切りを開けたお嬢さんは、
「あっ」と何か見つけた様な声をあげ、そのあと手で 止まれ と合図を送ってきた。
 意味が分からず、とりあえず指示にしたがって立ち止まる。
「えっと、あの? どちら様…ですか?」
 誰だこのかわいい声 まさか田中の奴、攫ってきたのか?

 目の前の少女はたちまち顔が青くなり、少し脅えているようにびくびくしている。
 この子はいったい誰なのかしら?
「あの…もしかして…泥棒さん、ですか…」
 女の子は、こちらを見上げながら、か細い声で言った。
「怖がらなくていいよ。私は一輝君のお友達で静といいます。今日は遊びに来ました」
 とりあえず取り繕って現状を説明…まぁ嘘だけど。
「そう…ですか、それで、あの お兄ちゃんは…どこにいるんです?」
 お兄ちゃん…って事は田中君の妹さん?どうやら相当心配しているようね。ブラコンかしら。
「あー、それなんだけど…
 そこで寝てるわ」
 妹さんは「はぁ?」と一瞬疑わしい視線を向けるが、何かを察したのか
目の色が変わり、物凄いスピードで私の脇をすり抜け田中君の所へ向かった。
 そうして彼女は部屋の床にへたりと座り込んだ。
 妹さんは顔をKくんに向ける。ようやく存在に気付いたという感じ。
「えっと、あなたは…」
「どうも、お邪魔してます、Kです」
「…Kさん、あの、どうして兄ちゃんとそちらの方は寝てるんですか?」
 くしゃくしゃに泣きそうな顔をして尋ねる。
「それは…だな……」
「それは?」
 K君は気まずくなったようで声がどもる。仕方ないわね…
「彼らが玄関でふざけてて頭打っちゃったからよ」
キッチンから出てきた私は彼女に歩み寄りながら話を続ける。
「力比べだ。とかいってね、二人で手の平と手の平をくっつけて、押し合ってたの」
さりげなく、嘘を付いておいた。本当の事を言うと泣き出しそうだから。彼女の憔悴しきった顔を見ると。
「ばかっぽい…兄ちゃん 外でも子供みたいなことしてるんだ」
少し安心したのか、顔に浮かべた涙を拭いて微笑んだ。
「よくしてるわね そこで倒れてる子と一緒になってね」
「兄ちゃん、家にいた頃と何も変わってない」
妹さんは田中君の顔を見つめながら毛布を掛けてあげていた。
「で、その力比べで、手を滑らせて頭と頭がごっつんこ。二人とも転けて頭打ってこの状態…」
彼女の表情が再び変化していた。「大丈夫…ですよね」と不安そうな表情で訊いてくる。
「寝たまま…何てことは、ないですよね」
「どうだろうね。私そういうの専門じゃないから」
 私の無責任な言葉に彼女は「うぅ、兄ちゃん…」とまた泣きだしそうになっていた。
かわいい、そう思った私は思わず目の前の小さな少女を抱きしめていた。
 彼女の髪を撫でながら私は言う。
「こんなにも想われてるんだから、お兄さんは必ず目を覚ましてくれる……
 彼はあなたの期待を裏切るような酷いことは今まで一度もしなかったでしょ。信じてあげて」
 妹さんの目尻には溢れんばかりの涙が溜まっている。
「酷いことは…いろいろされたけど、兄ちゃん…私を、裏切ったことなんて、一度もない」
 腕の締め付けが強くなり、ひとすじ、ふたすじ、と涙が零れる。
「お兄ちゃん、いつも私を助けてくれた…いつも私を…守ってくれた」
 そこまで言い切ると堪えきれなくなったのか、大声で泣き出してしまった。
 この年齢の女の子がここまで取り乱すなんて…私には今回のことだけがこの涙に込められているとは思えない。
今まで溜めていたものが今回のことを切っ掛けに音をたてて流れ出した、そういう風に見える。
まさか虐められてるんじゃ、と疑いたくなるほどに寂しく見える。
 私は彼女が落ち着くまで、やさしく髪を撫で続けた。

そしてK君は私たち二人の姿を見てまた勃起していた。

続く



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こころ -2nd edition-

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